社長ブログ

プロフィール

代表取締役 三浦 光一

1955年岩手県生まれ
子供の頃より社長になる夢を抱き、高校卒業後上京する。大学卒業時に5年後の会社経営を目指し、商社に就職する。縁あって休日に知人の清掃会社を手伝う。この体験を通じ、清掃業は新しい 産業であると確信、 28歳で一念発起して個人営業を始める。 29歳で株式会社第一ビルメンテナンスを設立。

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伝説の領域に向かって

2018.04.12
「仕事の名人達人になる為に」

第一ビルメンテナンス

4月を迎え、社会人としての新しい人生のスタートを切った多くの新入社員の人達がいる。
社会に出て、これから何をベースに自分を磨いていくかを考えてみた。


私が経営に行き詰まり、悩み苦しんでいる時に掴んだ教えである・・・
古来より名人達人になる為の最短の方法を説いている。


この方法を実行していけば、私でも経営者の名人達人になれるのではと思えた瞬間であった・・・
まだまだほど遠い道のりである。


古来より「武道、茶道、華道」などで用いられていた方法と聞くその教えは「守破離(しゅはり)の法則」である。


守・破・離とは、物事を学ぶ時の最も大切な姿勢である。
「武道、茶道、華道」に限らず仕事の上に於いても先人達は、この三つの段階を経てその道を極めてきたという。


第1段階の「守」とは師匠の教えをそっくりそのまま忠実に守ること。全て師匠の教えの通りに行う事。
それ以外のやり方をしてはならない。


もし初心者でこれを疑い、批判する人がいたら、その人は学ぶ姿勢の無い人であり、絶対に向上発展はあり得ない。


まず、最初は師匠がどのような考え方、どのような態度や姿勢を持っているかをそっくりそのまま学ぶ、真似(まね)ることです。師匠に教えられたことや言われたことを守り切ることです。


第2段階の「破」とは、師匠の教えを全て自分のものにした上で、自分の新しい工夫を加え、師匠の教えを少しずつ破り成長していく段階になります。


第3段階の「離」とは、師匠の教えから脱皮し、自ら一つの境地を築き上げる段階です。
つまり自分独自の技を持つ段階になります。


自分独自の技を持ったら、もう一度師匠の教えの守る「守の段階」に戻ることです。
守に戻ることで更に自分の技を磨くことが出来ます。
この「守る・破る・離れる」を繰り返していくことが仕事の名人、達人になる最も早い近道となります。


周囲をよく見回してみよう。必ず師匠となる仕事の名人、達人がいるはずです。
そしてその名人、達人を見つけたら、守・破・離の法則を徹底して用い、自分を磨き高めることです。


今日も私は、守破離の法則を繰り返し、繰り返し実行することで経営者の名人、達人になる為、自分を磨き続けたいと思います。


感謝、有難うございます。

2018.03.13
「仲間外れにならない為に」

第一ビルメンテナンス

人に嫌われ疎(うと)んじられ仲間外れにされる人がいる。人に好かれ歓迎され、いつも楽しくしている人がいる。
立派な人、素敵な人はいつも皆に歓迎され、そこにいるだけで明るく楽しくなる。


仲間外れにされる人は、集団の中に入ろうとすると「何しに来たの?」「来なければいいのに・・・」「迷惑だよね」と心の中で皆に呟(つぶ)やかれる。


仲間外れにされたくなければ立派な人、素敵な人と言われるような行動をしなければならない。


立派な人、素敵な人たちは地位や財産には関係なく、立派な言動・行動・立ち居振る舞いの出来る人である。


言葉を変えて言えば、立派な人は常に自己の最善を他者に尽くしている人である。
「自己の最善を他者に尽くす」とは、自分で出来る最も善いと思うことを相手にしてあげることを言う。


地位やお金がなくても出来る善い行い、善い行動を「七つの施(ほどこ)し」で教えている。
それは仏教の教えにある「無財(むざい)の七施(ななせ)」である。


まだ何も出来ていない未熟者の私は、今日からこの「無財(むざい)の七施(ななせ)」を実行し、立ち居振る舞いを善い行い・善い行動に変えていこうと強く思う。


その一つは、眼施(がんせ)・・・慈眼施(じがんせ)とも言い、慈(いつく)しみに満ちた優しい眼差しで全ての人に接する事である。心の温かさを自らの目を通して相手に伝える。


二つ目は、和顔施(わがんせ)・・・自分の優しい心を素直に顔の表情に表わす。
いつも和(なご)やかで穏(おだ)やかな顔つきで人や物に接することで人に安心や喜びを与える。


三つ目は、愛語施(あいごせ)・・・優しく思いやりのある言葉・態度で接し、その心で言葉を交わす。


四つ目は、身施(しんせ)・・・自分の体で奉仕する。自らの体を使い、人の嫌がることは自ら進んで行い、他者の為に尽くす行動を常に心掛ける。


五つ目は、心施(しんせ)・・・他者の為に心を配り、心の底から共に喜び共に悲しむ事の出来る心を作る。
人の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れるような心になる。


六つ目は、牀座施(しょうざせ)・・・たとえ自分が疲れていても、電車の中で喜んで席を譲ることを心掛ける。
また競争相手にも、自分だけの繁栄を願うのではなく、共に繁栄するために大事な情報は隠さずに教えてあげることを心掛ける。


七つ目は、房舎施(ぼうしゃせ)・・・風や雨露(あめつゆ)をしのぐ所を与える。自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘をさしかける思いやりの行動をする。常に自己犠牲を厭わずに相手の満足を求め、それを私の喜びとする。


今日からこの七つの施(ほどこ)しを心掛け行動し、私の血肉化とする。
そして明るく楽しく笑顔の絶えない喜びの人生にしたいと強く思う。


感謝、有難うございます。

2018.02.13
「人間関係を善くするための最上の徳とは」その3

第一ビルメンテナンス

社会も会社も自己と他者から出来ている。自分がいて相手がいる。自分は一人、相手は複数となる。


自己は一人、他者は限りのない人数となる。この事実が人間関係の大切さを教えてくれる・・・
自己の利だけを追い求めると、他者(複数の人)から嫌われ孤立無援の人となる。


自分のことだけを考えている人を「自己中心的」な人と言い、自分の利益のみを優先して考える人を「利己的」な人という。


自分の利益を優先している利己的な人は利益に嫌われる。自分の求めている利益を得ることは出来ない。
何故なら、人数の多い他者に嫌われ利益の分配を得られなくなるからである。


利益を得たいと思ったら、人数の多い他者との人間関係を善くすることである。古来、人間という文字を「じんかん」と読んだ。
人間は人と人の間柄(あいだがら)で成り立ち、独(ひと)りでは生きていけない動物だからである。


人間の関係は、優しいだけ、思いやりがあるだけでは上手くいかない。また、厳しいだけでも上手くいかない。
人間関係を善くする最良の方法が古(いにしえ)の教えである。


その教えは九つの徳を身に付けることにあるという。この九つの徳を実践行動していくことで最上の徳が身に付くと言われる。


私は、私に関わる全ての人々との間柄(あいだがら)、人間の関係を善くするために「九つの徳」を身に付けたいと思う。
今月も次の三つの徳を身に付けるための実践行動していくこととする。


その一つは「簡(かん)にして廉(れん)」・・・大まかに物事を捉えるが杜撰(ずさん)にするのではなく、筋道をしっかりと逃さないことを心掛ける。


物事を複雑に捉えずにその全体像を見て判断をするが、いい加減な物の見方はせず、その筋道までをしっかりと捉える。


二つ目は「剛(ごう)にして塞(さい)」・・・意志を強く持ち、剛毅な性格を持っているが押し付けることなく思慮深く考える。


意思が固く強い心、挫(くじ)けない心を持ちながらも自分の思い、意思を相手に押し付ける態度はしない。
そして相手の意見が自分の考えより勝(まさ)っているならば、それを素直に進んで受け入れる。


三つ目は「強(きょう)にして義(ぎ)」・・・実行力があり、力を持っているが独(ひと)りよがりの暴走をすることなく道理、節度をわきまえて行動をする。


物事に屈しない精神力でどんな困難にも挫(くじ)けず、怯(ひる)むことなく仕事をするが、人として守るべき正しい態度、礼節を重んじて行動していく。


この3ヶ月で「寛にして栗(かんにしてりつ)、柔にして立(にゅうにしてりつ)、厳にして恭(げんにしてきょう)、乱にして敬(らんにしてけい)、擾にして毅(ぜいにしてき)、直にして温(ちょくにしておん)、簡にして廉(かんにしてれん)、剛にして塞(ごうにしてさい)、強にして義(きょうにしてぎ)」この九つの徳を身に付けたことになる。


私はこの九つの徳を無意識の中の意識で使えるように、今日から繰り返し、繰り返し実践行動していくことで血肉化したいと強く思う。


感謝、有難うございます。

2018.01.11
「人間関係を善くするための最上の徳とは」その2

第一ビルメンテナンス

社会も会社も自己と他者から出来ている。自分がいて相手がいる。自分は一人、相手は複数となる。


自己は一人、他者は限りのない人数となる。この事実が人間関係の大切さを教えてくれる・・・
自己の利だけを追い求めると他者、複数の人から嫌われて孤立無援の人となる。


自分だけのことを考えている人を「自己中心的」な人と言い、自分の利益のみを優先して考える人を「利己的」な人という。


自分の利益を優先している利己的な人は利益に嫌われる。自分の求めている利益を得ることは出来ない。
何故なら、人数の多い他者に嫌われ利益の分配を得られなくなるからである。


利益を得たいと思ったら、人数の多い他者との人間関係を善くすることである。古来、人間という文字を「じんかん」と読んだ。
人間は人と人の間柄(あいだがら)で成り立ち、一人では生きていけない動物だからである。


人間の関係は、優しいだけ、思いやりがあるだけでは上手くいかない。また、厳しいだけでも上手くいかない。
人間の関係を善くする最良の方法が古(いにしえ)の教えある。


その教えは九つの徳を身に付けることにあるという。この九つの徳を実践行動していくことで最上の徳が身に付くと言われる。


私は、私に関わる全ての人々との間柄(あいだがら)、人間の関係を善くするために「九つの徳」を身に付けたいと思う。
今月は次の三つの徳を身に付けるために実践行動しようと思う。


その一つは「乱(らん)にして敬(けい)」・・・何か問題が起きた時には自ら先頭に立って物事を治めるが、普段は目立たず慎み深くしている。


物事に乱れが生じ混乱した時には、自らが発憤(はっぷん)興起(こうき)し先頭に立ち、その問題を速やかに解決する。
問題の解決が終わったら、他者を敬うことを忘れず普段は静かに慎み深くしている。


二つ目は「擾(ぜい)にして毅(き)」・・・いつも静かにおとなしくしているが、芯をしっかり持って自分の信念に反することには毅然とした態度をとる。


心を静かにして、自分を飾らずに気負うことなく淡々と人に接するが、自分の信念や志と違うことを相手に求められ強要されたら毅然とした態度で接し、自分の信念に反する行動はしない。


三つ目は「直(ちょく)にして温(おん)」・・・歯に衣着せずに率直にものを言うが、人当たりは温和で相手に威圧感を与えることをしない。


「直」とは物事を正しくとらえ、飾らずに誤解のない話し方をする。そして物事の判断は是々非々で行い駄目は駄目、正しいことは正しいと率直にものを言うが、常に温かい心を忘れずに、相手に決して威圧感を与えないことを心掛ける。


私は、己の未熟さを深く反省し、言動、行動、立ち居振る舞いを日々省(かえり)みることで、この三つの徳を血肉化したいと強く思う。


感謝、有難うございます。

2017.12.08
「人間関係を善くするための最上の徳とは」その1

第一ビルメンテナンス

社会も会社も自己と他者から出来ている。自分がいて相手がいる。自分は一人、相手は複数となる。


自己は一人、他者は限りのない数となる。この事実が人間関係の大切さを教えてくれる・・・
自己の利だけを追い求めると、他者から嫌われ孤立無援の人となる。


自分のことだけを考えている人を「自己中心的」な人と言い、自分の利益のみを優先して考える人を「利己的」な人という。


自分の利益だけを優先している利己的な人は利益から嫌われる。求めている利益に逃げられてしまうことになる。
利己的な人には他者が利益を与えることを嫌うからである。


利益を得たいと思うなら、数の多い他者との人間関係を善くすることである。古来は人間という文字を「じんかん」と読んだ。
人間は人と人の間柄(あいだがら)がなければ生きていけない動物だからである。


人間の関係は、優しいだけ、思いやりがあるだけでは上手くいかない。また、厳しいだけでも上手くいかない。
人間の関係を善くする最良の方法が古(いにしえ)の教えである。


その教えは九つの徳を身に付けることにあるという。この九つの徳を実践行動して行くことで最上の徳が身に付くと言われる。


私は、私に関わる全ての人々との間柄(あいだがら)、人間の関係を善くするために「九つの徳」を身に付けたいと思う。
初めに三つの徳を身に着けるための実践行動をしようと思う。


その一は「寛(かん)にして栗(りつ)」・・・寛大な心を心掛ける。しかし寛大だけでは上手くいかない。
寛大さと同時に細部をないがしろにしないという厳格さも身に付けなければ単なる鈍感な人になってしまう。


寛大とは、度量を大きくして、思いやりを持ってむやみに人を責めないこと。栗(りつ)とは栗(くり)の木のようにきめ細やかにすることである。


ここで言うきめ細やかさとは、道徳や規律に厳しくし、不正や怠慢を許さない厳格さも合わせ持つことにある。


その二は「柔(にゅう)にして立(りつ)」・・・いつも柔和な態度で心を穏やかなにする事を心掛ける。
しかし単に柔和で穏やかだけでは上手くいかない。いざ事が起きた時にはテキパキと物事を進める。


その三は「厳(げん)にして恭(きょう)」・・・自分に対して特に厳しくする。そして人に対しても厳しく接するが決して横柄な態度はとらない。
威張ることをせず、無遠慮(ぶえんりょ)な態度をとらず不躾(ぶしつけ)な態度は決してとらない。


己の未熟さを深く反省し、言動、行動、立ち居振る舞いを日々省(かえり)みることで、今日からこの三つの徳を私の血肉化としていきたいと強く思う。


感謝、有難うございます。

2017.11.07
「剛毅木訥、仁に近し(ごうきぼくとつじんにちかし)」に思う

第一ビルメンテナンス

論語の章句にある「剛毅朴訥、仁に近し」
「剛毅(ごうき)」とは自分の決めた志をやり遂げようという強い意志。
「木訥(ぼくとつ)」とは飾り気がなく、口下手で自分の思いを上手く
表現できない人。 


飾り気がなく口下手であるが行動が立派な人のことを「剛毅(ごうき)
朴訥(ぼくとつ)」と言う。
ただ口先だけ立派で実行しない人より、本当に実行している人の方が
立派な人である。
また、そういう人が思いやりのある人だと「孔子」先生が教えている。


私はこの章句を読んだ時、次のように考えた。
「剛毅朴訥」の人はコミュニケーション能力がない人のように見えるが
実は言葉を大切にしているから多くを語らない人ではないだろうか。


「巧言(こうげん)令色(れいしょく)」の人のように言葉巧みに口先だけが
先行して単にその場を取り繕(つくろ)っているような人とは違い
「剛毅(ごうき)朴訥(ぼくとつ)」の人は自分の言葉に責任を持っている
から多くを語らないのではないだろうか。


「剛毅(ごうき)」とは、二つの強さの意味がある。剛は表面的な強さ
外に表れた強さを表す。


「毅(き)」は内に潜んだ強さ、耐え忍ぶ強さを表している。
この耐え忍ぶ強さこそ真に必要なものである。


松は堅くて威風堂々としその姿は立派である。しかし雪が降り
雪が積もるとその重みでパキーンと大きな音を立てて折れてしまう。


そこにいくと竹は、細くても強い。雪が積もると竹はスウーっと
曲がるが雪が溶けて落ちるとまた元に戻るような強靭な強さを持っている。


竹は折れずに伏すと言うが、見てくれの強さよりも竹のように困難に
耐え忍ぶ強さこそが真の強さである。


「朴訥」とは、木の切り株のたとえである。
木の切り株のように何の飾り気もなく謙虚に生きる姿勢を表している。 


「朴(ぼく)」から僕という言葉が生まれた。自分がへりくだって謙虚に
謙遜する態度を「僕」という。


剛毅木訥の人は余計なことは何も語らない。
自分を飾って見せることもなく、ただ誠の心を持って自分の信念を貫いている。


そのような人の背中を見ていると自然と尊敬し、敬(うやま)う態度になる。
「剛毅木訥」の人は余計なことを語らずに己の姿勢のみで人としての
あるべき姿を見せている。


とても深く考えさせられる章句である・・・
まだまだ私には遠い道のりではあるが、この章句を胸に秘めて日々の
仕事に取り組もうと強く思う。


感謝、有難うございます。

2017.10.10
「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)に思う」

第一ビルメンテナンス

論語の一説にある「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」
巧言(こうげん)とはお世辞のこと令色(れいしょく)とは相手に気に入られよう
として作り笑顔すること。
そういう人に限って誠実さがないと孔子先生が教えている。


私はこの章句を読んだ時に思わず我が意を得たと納得していた。
まさしくこの章句は誰と誰によく当てはまっていると妙に納得したのである。


しかし繰り返し深く読み込んでいくうちに、私自身が
「巧言令色鮮(すくな)し仁」を行っているのではと考えさせられるようになった。


周りに迷惑をかけている人を見ても、注意や指摘もせずにその人に調子
を合わせている私がいる。


事を荒立てたくない、或いはその人に嫌われたくないという思いが先に
立ち、慮(おもんばか)った態度で相手に調子を合わせている私がいる。


私はよく「是々非々(ぜぜひひ)」で判断をすると話している・・・
良いことは良い、悪い事は悪いと素直に物事を捉えて判断しなければ
ならないと日々皆に話している。


しかし我が身を振り返ると「是々非々(ぜぜひひ)」の判断ではなく
「巧言令色鮮(すくな)し仁」の判断に私が陥っていることを教えられる章句である。


単に相手に嫌われたくない一心で調子を合わせている私の姿はまさしく
「巧言令色」であり「仁」という思いやりの心がないことに気付かされる。


駄目なことを駄目と相手に伝えることをしない為に、なお罪が深い。
何故なら駄目な行為を私が肯定しているかのようにその人に勘違いをさせてしまうからである。


私が繰り返し唱和することで本当の「仁」とは何か
本当の「思いやり」とは何かを深く教えていただいた章句
「巧言令色鮮(すくな)し仁」に感謝する。


感謝、有難うございます。

2017.09.07
経営目標を達成するために

第一ビルメンテナンス

今期の経営目標を達成する為には基本方針、個別方針の一項目一項目を実践行動していくことだと発表致しました。


実践行動するとは「手と足と口」を動かすことです。そして「知行合一」とは、知識と行為は一体である事
つまり知ったと同時に実践することを言います。


私は単に口で唱えるだけではなく、何事も成し遂げていく実行力のある人、実現力のある人になりたいと強く思います。


経営目標達成の邪魔する要因は二つあります。一つは、無理、出来ないと自分で決めてしまうことです。
自分で決めたのですから達成しないのが当たり前です。まさしく自分で決めた計画通りになります。


二つ目は誰かがやってくれるだろうと考えることです。自分ではなく誰かがやってくれると皆が考える訳ですから
当然経営目標を達成することは出来ません。


この二つの考え方では「私は手も足も口も動かさない」と言っているようなものであり、経営計画書は本棚の飾りに
なってしまいます。


物を作るには必ず設計図がいります・・・立派な家を立てるには立派な設計図がいります。経営計画書が立派な会社を
作る為の設計図となります。


もし経営目標を達成出来ないとすれば、設計図に問題があるか、或いは設計図どおりに実践行動をしていないかの
二つです。


私は経営計画書という設計図に沿って実践、行動して今期の目標を達成したいと思います。そして、達成したその先の
全従業員の喜びに満ちた顔を思い浮かべることで、私の心を高めていきたいと思います。


会社の未来は私たち全従業員の未来です。私は未来の全従業員の喜びに満ち溢れた笑顔を見るために「知行合一」を徹底し
手と足と口を動かしていきます。社員の皆様にも今まで以上のご協力をお願い申し上げます。


感謝、有難うございます。

2017.08.07
「経営計画発表会を終えて」

第一ビルメンテナンス

社員の皆様のご協力のお陰をもちまして、7月17日第34期経営計画発表会を滞りなく終えることが出来ました。
深く感謝申し上げます。


今期の経営計画書の経営目標を達成する為にどうするかと考えていた時、初めて経営計画発表会を行った頃のことを
思い出しておりました。


平成11年の発表会に、私は発表の席で社員の皆様に向かって、我が社の5年後の売り上げを45億5千万円にすると
発表しておりました。当時の売り上げは9億6千万円程度でありました。


若さもありましたが、今考えると何と無茶なことを発表したものかとも思います。しかし当時の私は真剣に
会社の規模をそのぐらいにしなければ、我が社の将来はないと考えておりました。


来賓としてお迎えした先輩社長が、発表会を終え懇親会の席で、何故あんな出来もしない無謀な数値目標を
発表したのかと私に迫ってきました。


私は出来ない数字とは考えていない。会社の目標として達成しなければならない数字だと考えて発表しました。
と話していました。


さらに先輩社長は、その45億円の数字に何の根拠があるのかと私に迫ってきました。私は一瞬戸惑いましたが
この数値目標は何が何でもやらなければならない私の強い信念から書き出したものです。と答えておりました。


私の信念であると聞いた先輩社長は・・・そうか、三浦君の信念なのか。信念ならば仕方がないと妙に納得したのか
しないのかわからないが、矛を収めてくれました。そしてお互いに笑いながら酒を酌み交わしたことを思い出します。


第34期の経営計画の目標達成の秘訣はここにあると、私は意を強くしております。先輩社長は私が達成出来るとは
到底信じていませんでした。


しかし私が「信念」と言った瞬間に、先輩社長は納得してくれました。何故なら私は何としても目標を達成するという
強い意志を持っていたからです。
その強い意志が我が社の成長発展の本となっています・・・・・その強い意志で第34期も我が社の未来を創造し
その未来を実現する為に、お客様サービスを徹底していきたいと考えております。


我が社の未来の姿とは、全従業員が仕事に対する喜びと自信と誇りに満ち満ちた姿であり自信と誇りと喜びで笑顔の
絶えない会社の姿であります。


私は、我が社の未来の姿を全従業員が想像し追求していくことにより、今期の経営目標の達成に繋がると考えています。
社員の皆様には第34期も今まで以上のご協力をお願い申し上げます。


感謝、有難うございます。

2017.07.11
「自信をもって働くために」

第一ビルメンテナンス

仕事が上手くいかない、仕事に自信が生まれないのは何故だろうと考えてみた。自信という文字を見ると
自分の信【自分のまこと】と書いてある。つまり自信とは、自分の心の中に「信(まこと)」を持つということである。


「信(まこと)」がない心に不信が生まれる。自分で自分に不信を持ち自信をなくすことになる。
一人に言う嘘は数回で済む・・・しかし数回の嘘が自分の心の中に蓄積されていく。


過去の嘘から数えると数百、数千回の嘘となる。その蓄積された嘘で自己不信に陥り、自信を無くすことになる。


自分の心の中は自分にしかわからない。その心が自分に語りかけてくる・・・お前は自分に嘘をついている。
もっと素直に正直に生きろ。と心に語りかけてくる。


その声を聞いた私の心は「嫌だなー、また自分で自分に嘘をついている」とホトホト自分が嫌になる。
「信(まこと)」の心が持てない私は自信を失い、自己不信に陥ることになる。


「信(まこと)は誠(まこと)」と読む・・・私は自信を取り戻すために虚勢を張らず、誠実に飾ることなく奢(おご)ることなく
謙虚(けんきょ)に生きようと思う。


自分に嘘のない誠の心を持ち、自己不信に陥ることなく、自信に満ち溢れた生き方をする。


今日から、私の心に嘘の蓄積は決してしない。その為に私は約束を守り、誠実に正直に謙虚に生きることを心に誓う。


感謝、有難うございます。

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