社長ブログ

2017年11月07日「剛毅木訥、仁に近し(ごうきぼくとつじんにちかし)」に思う

論語の章句にある「剛毅朴訥、仁に近し」
「剛毅(ごうき)」とは自分の決めた志をやり遂げようという強い意志。
「木訥(ぼくとつ)」とは飾り気がなく、口下手で自分の思いを上手く
表現できない人。 


飾り気がなく口下手であるが行動が立派な人のことを「剛毅(ごうき)
朴訥(ぼくとつ)」と言う。
ただ口先だけ立派で実行しない人より、本当に実行している人の方が
立派な人である。
また、そういう人が思いやりのある人だと「孔子」先生が教えている。


私はこの章句を読んだ時、次のように考えた。
「剛毅朴訥」の人はコミュニケーション能力がない人のように見えるが
実は言葉を大切にしているから多くを語らない人ではないだろうか。


「巧言(こうげん)令色(れいしょく)」の人のように言葉巧みに口先だけが
先行して単にその場を取り繕(つくろ)っているような人とは違い
「剛毅(ごうき)朴訥(ぼくとつ)」の人は自分の言葉に責任を持っている
から多くを語らないのではないだろうか。


「剛毅(ごうき)」とは、二つの強さの意味がある。剛は表面的な強さ
外に表れた強さを表す。


「毅(き)」は内に潜んだ強さ、耐え忍ぶ強さを表している。
この耐え忍ぶ強さこそ真に必要なものである。


松は堅くて威風堂々としその姿は立派である。しかし雪が降り
雪が積もるとその重みでパキーンと大きな音を立てて折れてしまう。


そこにいくと竹は、細くても強い。雪が積もると竹はスウーっと
曲がるが雪が溶けて落ちるとまた元に戻るような強靭な強さを持っている。


竹は折れずに伏すと言うが、見てくれの強さよりも竹のように困難に
耐え忍ぶ強さこそが真の強さである。


「朴訥」とは、木の切り株のたとえである。
木の切り株のように何の飾り気もなく謙虚に生きる姿勢を表している。 


「朴(ぼく)」から僕という言葉が生まれた。自分がへりくだって謙虚に
謙遜する態度を「僕」という。


剛毅木訥の人は余計なことは何も語らない。
自分を飾って見せることもなく、ただ誠の心を持って自分の信念を貫いている。


そのような人の背中を見ていると自然と尊敬し、敬(うやま)う態度になる。
「剛毅木訥」の人は余計なことを語らずに己の姿勢のみで人としての
あるべき姿を見せている。


とても深く考えさせられる章句である・・・
まだまだ私には遠い道のりではあるが、この章句を胸に秘めて日々の
仕事に取り組もうと強く思う。


感謝、有難うございます。

お問い合わせ

無料でご提案いたします

プロフィール

代表取締役 三浦 光一

1955年岩手県生まれ

子供の頃より社長になる夢を抱き、高校卒業後上京する。大学卒業時に5年後の会社経営を目指し、商社に就職する。縁あって休日に知人の清掃会社を手伝う。この体験を通じ、清掃業は新しい 産業であると確信、 28歳で一念発起して個人営業を始める。 29歳で株式会社第一ビルメンテナンスを設立。

続きを読む

アーカイブ

お問い合わせ

無料でご提案いたします

お問い合わせ

PAGETOP