2017年10月10日「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)に思う」
論語の一説にある「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」
巧言(こうげん)とはお世辞のこと令色(れいしょく)とは相手に気に入られよう
として作り笑顔すること。
そういう人に限って誠実さがないと孔子先生が教えている。
私はこの章句を読んだ時に思わず我が意を得たと納得していた。
まさしくこの章句は誰と誰によく当てはまっていると妙に納得したのである。
しかし繰り返し深く読み込んでいくうちに、私自身が
「巧言令色鮮(すくな)し仁」を行っているのではと考えさせられるようになった。
周りに迷惑をかけている人を見ても、注意や指摘もせずにその人に調子
を合わせている私がいる。
事を荒立てたくない、或いはその人に嫌われたくないという思いが先に
立ち、慮(おもんばか)った態度で相手に調子を合わせている私がいる。
私はよく「是々非々(ぜぜひひ)」で判断をすると話している・・・
良いことは良い、悪い事は悪いと素直に物事を捉えて判断しなければ
ならないと日々皆に話している。
しかし我が身を振り返ると「是々非々(ぜぜひひ)」の判断ではなく
「巧言令色鮮(すくな)し仁」の判断に私が陥っていることを教えられる章句である。
単に相手に嫌われたくない一心で調子を合わせている私の姿はまさしく
「巧言令色」であり「仁」という思いやりの心がないことに気付かされる。
駄目なことを駄目と相手に伝えることをしない為に、なお罪が深い。
何故なら駄目な行為を私が肯定しているかのようにその人に勘違いをさせてしまうからである。
私が繰り返し唱和することで本当の「仁」とは何か
本当の「思いやり」とは何かを深く教えていただいた章句
「巧言令色鮮(すくな)し仁」に感謝する。
感謝、有難うございます。